サンキューハザードは いらない

manbow

2007年09月15日 23:59

全国的なものなのかは、わからないが(車に乗る人ならたぶん
知ってる)サンキューハザードというのがある。


しばしばネット上で議論が交わされるが、私はこれを否定的に
捉えている。

議論の様子を見ていると「譲ってあげたのにハザードを焚かないので、
気に入らない」的意見をよく見る。

逆に「ハザードを焚いて、無理に割り込んでくる」という話も多い。

前者はサンキューハザードの意味を知らないかもしれないし、後者は
サンキューハザードを言わば免罪符として悪用しているのかもしれない。

私が第一にこの儀式を怪訝に感じるのは、そもそもハザードの意味からは、
まったく関係のないことに使われている点だ。

自動車の灯火には、それぞれ単独で重要な意味がある。それに重複した
意味を持たせたのでは、混乱の元にならないか。

全ドライバーに周知徹底させたとしても、今度は操作の面で不安は残る。

「譲ってくれたので慌てて割り込ませてもらう」という状況は、注意が散漫に
なりがちである。更に片手運転でハザードスイッチに手を伸ばす。

散漫な注意力は、もっと散漫になろうってものだ。

こういうときに起きる思わぬ接触事故のことをサンキュー事故などというが、
当事者たちにとって、まったくやりきれない事故でもある。

道路を走っていれば、譲るべきは譲らないとダメなわけで、それはお互い様
なのだ。 逆に、交通の流れを遮るような一個人の親切心は、かえって危険
なケースもあったりする。

譲るべきは譲る、待つべきは待つ、双方のモラルの中に、譲っただの譲って
くれないだの感情的要素は、出来るだけ持ち込まない方がいいと私は考える。

ハザードを焚かないので怒れると言う人は、怒れる理由がもはや「ハザードを
もらえない」ことに起因している。 お礼をもらうこと自体が、おかしいことに
気づいていない。

お礼というのは、するもので、もらうことが主体ではないと思うけどな。

でも、もし私がお礼をされるとしたら、周りの安全を確かめた後、チカチカやる暇が
あるのなら、後ろを気にせず直ちにアクセル踏んで進んで欲しい。

その方が、よっぽどうれしい。

※感謝の意思表示は否定しません、私も何らかの意思表示をすることが多いです。
ただ、サンキューハザードにこだわる人には違和感を覚えます。


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